サムラホーム 株式会社佐村建設

サムラのこと

サムラのこと
もくじ

サムラホームの家づくり

すべてはお客様の笑顔と幸せのために

すべてはお客様の笑顔と幸せのために

サムラホームはプランニングのご提案と建築技術に自信を持っています。
お客様の思いや好み、ご心配事への配慮も欠かさず、その笑顔と幸せにつながることはまっすぐに正直にお伝えしご提案します。

とことん納得の家づくり

とことん納得の家づくり

お客様の疑問や不安を解決しつつ、お客様の思いが形になるまで何度も打ち合わせを重ね、
ひとつひとつ納得していただきながら世界で1つだけの家を創り上げます。

お客様が主役の
思い出に残る感動の家づくり

お客様が主役の思い出に残る感動の家づくり

家づくりは人生のビッグイベント。
だからこそ思い出が残る楽しい家づくりとなるよう、地鎮祭・上棟式・引渡しセレモニーなど、お客様が主役となって楽しめるイベントも大切にしています。

ずっと続いていくお付き合い

ずっと続いていくお付き合い

お家は建ててからが本当のお付き合いのはじまりです。
地域密着工務店ならではの距離で定期点検を実施したり、 気軽に相談しやすい身近な存在となれるよう、また楽しんでもいただけるように、
お客様を招待するお祭りイベントも毎年開催しています

すべてを見せるオープンな家づくり

すべてを見せるオープンな家づくり

お家づくりをする施工業者は自信を持って紹介できるプロフェッショナルな職人です。
全職人が集まる地鎮祭やホームページ上のスタッフ紹介などでオープンに紹介しているほか
完成見学会だけでなく、完成後は隠れてしまう構造の見学会も開催するなど、オープンな家づくりをしています

ごあいさつ動画

佐村からホームページをご覧の皆様へ、
動画でのごあいさつです。
2008年撮影の短い動画です、よろしければ是非ご視聴ください。

創業ヒストリー

2008年、ホームページリニューアルの為にOB客様を取材してまわったその日の夜、 制作会社様と佐村とで対談した内容です。
創業の歴史や社長佐村の人となりを知っていただくことができます。
とても長い記事ですが、ご興味がありましたらご一読ください。

  • 制作会社
  • 佐村正明
  • 佐村紀子

では、始めたいと思います。
今日は長い時間ご苦労様でした!

いえいえ!こちらこそありがとうございました!
みなさん、快く受け入れていただいてねぇ。

そうですねー。

急に電話したところもあったけどね。
普通はね、嫌がられてもおかしくないですよ?

まあ、でも、お客さんとしては嬉しいと思いますよ。
なかなか難しいところあるじゃないですか、こまめに連絡すると言うことは。

そうですねぇ。

別に、気持ちが無いわけじゃないんだけど、気持ちがないとなかなかねえ…
連絡があるということはお客さんとしてはありがたい話だと思いますけどね。

いやぁ…そういっていただけるとありがたいですよ。
あと、定期点検というものを創業当時からずっと続けて1年、2年、3年…
今日お邪魔させていただいたところですと10年、12年以上、13年というところもありましたけど、
快くどうぞどうぞと受け入れていただけるというのは、
やっぱり定期点検をしてきたことで、
お客様との係わり合いが途切れることなくずっとお付き合いさせていただいているからというのもあると思うんです、僕は。

取材~たくさんのお客様をたずねて~

確かにそれはあるでしょうね~

でもずっとほったらかしにしてますと、
10年間完成してから1回も来なくて、何しゃべってるんだ、何がホームページなんだ、いい加減にしろと言う話になると思いますから(笑)

(笑)間違いなく

そうでは無しに定期点検や、それ以外でも「ちょっと寄ってみたんですけどどうですか?」とか、
そうすると「よく寄ってくれたね、お茶でもどうやね?」とか、
「あー今日ちょっと次の予定がすぐありますので」とお断りさせていただくことがあったりとかね。
そういったコミュニケーションがあるからですかねぇやっぱり。

ふむふむ、やっぱりそうでしょうね。
定期点検はどれくらいの間隔でやられていらっしゃってるんですか?

毎年です。それと、あと当然年末年始にウチのカレンダーをお持ちさせていただくので、
年2回は必ずお客様と会うということになりますね。
それはもうずっと、今年で(創業)17年経ちますけども続けてきてるのは事実ですね。

17年毎年ですか~。

今日僕周ってて思ったんですけど、
こうやって周ることが決まって準備し始めて、 事務所とか店舗抜きにして住宅だけで周らせていただけそうなところをリストアップしてこのレポート用紙一枚が出来たんですよね。

振り返って見ると多いですねぇ。

えぇ、こんなにお世話になってたんだ~と改めて。
また実感したと同時に、 創業当時にどうしたらいいんだ…僕はどうしたらいいんだ、僕はどうして生きていけばいいんだ…と、
どうやって収入を得て家内を養っていけばいいんだ…と考えた時があったことも思い出しましてね。

結構大変だったということですね?

はい。 今までお世話になった方はもう無いんだと、それは仕事上でのお世話になった方は当然たくさんあるんですけど、当然僕が勤めていた会社を介してお世話になった訳で、
そういったお客様に声をかけるわけにはいかない、そのお客様はその会社に建築物をご依頼された訳ですから。
私はそこの一スタッフとして担当させていただいた。肩書きはどうこうあれそれは紛れもない事実であると。
そういったことなので、営業的なことをかけるわけには決していかない。と思ったんですね。

そうすると全くゼロということですね。

はい。
ではゼロの状態で、じゃあどうやってご飯を食べていったらいいのかと(笑)

深刻ですね~…

「あぁいいなぁ…」と思いましたよ。
最初にお世話になった会社というのは、70年以上も歴史があってOB客なんていっっっぱいいる訳ですね。

そうでしょうね~。

そうすると、そういうところでずっとやってきていて、仕事なんてやることやっていればご紹介なんていっくらでもあったのに、 独立してからはどっこも周るとこなんかないでしょ?
どうしたらいいんだということですよね…。

うーん…

じゃあ同級生とか友達とか周って、「おー、お前家建てろ」なんて言って「おう分かった家建てるわ」なんてそんな風に家建てないじゃないですか(笑)

あははは(笑)

それで、まぁずいぶん悩みましたけど、
今回このリストを作って、あぁ…ありがたいなぁと思って。こんなに周るお客様ができたっていうことは。
ましてや新築工事だけでこんなにいっぱいお客様ができていたなんてねぇ…
改めて感謝をした一日でした、今日は。
本当にありがとうございました。

いえいえ、そんな(汗) こちらこそお役に立てて…(笑)

創業された時からお一人で始めたんですか?お仲間がいたとか…

自分で商売始めようと思って独立した訳ではなかったんですよ。最初は。
平成3年に結婚してその年に創業したんです。
で、結婚する前に当然こういう業界にいますので、出来れば自分の家は自分で建てたいと思ってたんですね。

ご結婚と独立が同年ですか~。

はい。
ちょっと家の話になるんですが、
僕は4人兄弟で女女男男という中で、僕は次男坊で、次男坊は普通家を出なきゃいけないでしょ?
そうすると、自分で最初から家を建てるなんてお金も経済力も無いわけですから、
毎月お給料が10万とか場合によっては多いと13万とか少ないと9万とかね。そんな状況じゃとても家建てられないですから。

でも結婚して独立もすることになったと。

はい。
で、アパートとか入ってある程度頭金とか貯めて、こんな田舎で育ってますから、のどかなところに住みたいなと。
そして探すと、どうしても郊外になりますわな(笑)

そうなるでしょうねぇ(笑)

まぁ父が、今のこの土地が田んぼだったんですが、ここを使えよと。
僕が小さい頃は、この辺でお茶の木があって、この辺で親父がナスビを作ってて、
ここからこっちは桃畑があって、夏は桃にカブトムシからクワガタとか、うっじゃうじゃでしたわ(笑)

生立~大工さんってカッコイイな~

うわぁ~いいですね!

父は完全なる農業で、僕が小さい頃はスイカ・トウモロコシ・ナスビなんかを作って出荷していました。
僕が小学校に上がるくらいの頃からはイチゴを手広く作ってました。それから次は養鶏に力を入れていくんですけど、
先祖代々の土地があったわけではなくて、父が自分で一生懸命働いて土地をあちこち買って、替地したりして順番に土地を一箇所にまとめてここまで来たんです。

そうですか~…
それで、なんでまた建築の世界に?

僕は小さい頃から、親からお金をもらうのがイヤだとずっと思っていて、とにかく早く働きたかったんです。
というのも、隣の家のおじさんは乗用車にのってネクタイしてピシッとして会社に行ってカッコイイと。
で、ウチの父はどうかというと、養鶏業始めて、確かに養鶏業も立派だった。自動化して、その頃には全国から観光バスがやってきて、今後近代化した養鶏業はこうなるということで見学がいっぱい来たんですよ。
で、あぁウチの親父はすごいなとも思ったんですけどね。
近所のおじさんはネクタイピシッとして乗用車に乗って働いて夕飯時には帰ってくる。
ウチの親父は鶏のウンコ運んでくさくて汚くて(笑)深夜まで身を粉にして働いている…。

あぁ…、子どもながらに感じてしまうと…

ええ。 でも僕は、一箇所に土地をまとめて夢に向かって頑張る親父を見ていて、
地域社会のこと、自治会であったり議会議員であったり議長であったりそれなりにこなしてやってる姿も見てるわけですよ。
そして、身を粉にして早朝明るくなる頃から暗くなってもまだ更に母と一緒に仕事をしてるところも見ていました。
そうすると、ウチは貧乏なんだお金が無いんだと、子どもながらにも思うじゃないですか。
近所のおじさんは8時くらいに車に乗ってしゃーっと仕事いって綺麗な格好でスッと帰ってきてて、うちの親父は朝から晩まで働きづめで夜は夜でいないでしょ?
そういう訳で「うちは貧乏なんだ、だから親からお金をもらいたくない」というのは幼少の頃からずーーーっと思っていたんです。

なるほど~…

それで、どういう方向へ進んで行きたいのかという年頃になった時に、
僕は昔からモノを作るのが好きだったんです。雪が降った時にそりを自分で作って滑ったりとかね。
で、ちょうどその頃、毎年親父が養鶏場を次から次へと建てていて、親戚の大工さんがいつも来てたんですよ。
それを見てて、「はぁ~、家ってああやって建てるんだ」と。

あはは(笑)

そしてある時、親父が今度は倉庫を建てるっていうもんで、友達が聞いたら何作るって言えばいいの?って聞いたら「小屋を建てるなんていっておけばいい」と。
ああ小屋を作るのかと思って、いざ作ってるのを見ると体育館みたいな倉庫でどえらいでかくて、それ見た友達が、「なに!まーちゃんとこ小屋じゃなくて体育館つくっとるの!?」なんてことになって(笑)

あはははは!

そんな影響もあって、大工さんってカッコイイなと。その時思ったんですよ。
たしか卒業文集でね、将来の夢を書くところがあって、みんな、公務員とかケーキ屋さんとか電車の運転手とか書いてる中で、僕は大工さんか設計士って書いたんですよ。

はー!

将来的にそう進みたいっていうのが頭に芽生えてたんでしょうね。
そして中学校卒業する時に、ウチにいつも鶏小屋を作りに来てくれてた親戚の叔父さんに相談して、工業科・建築科に行くといいんじゃないかと言われて。
ここから通えるところでいろいろ探して、岐南工業高等学校の建築科が一番近くて、専門的に勉強できるし、ということで、素直にそこの建築科に入ったんですよ。
で、就職する時はまたどこに就職すればいいか分からなくて、また叔父さんに聞いて、○○がいいんじゃないかと言われるがままにそこに就職して、何も分からないまま死に物狂いで働いてきて。

何年くらい働いたんですか?そこでは。

6年くらいかな…。 そのあとは、当時僕の上司であった先輩が独立して会社を興されて、
それから1年か2年経ったくらいに、その先輩から、自分のかつての部下を、要するに自分のいた会社から引き抜くということで声がかかったんですよ。 ちょっとやそっとじゃ僕も動かないこともわかっとるんですけどね。
「今度、多治見に支店を出すから来てくれ」と。結局出さなかったんですけど、
とにかく「お前は平成の豊臣秀吉だ!」と。「切り込み隊長だ!お前だったら改革していけるんだ!」と、是非お前がきて好きなようにやるんだ!!」と(笑)
上~手にがーっと持ち上げられて、そこの会社に移ったんです。(笑)

あははは! 社長乗せられやすいタイプですね~(笑)

ただ僕も、黙っていくのは嫌でして、
その僕を引っ張った元先輩には、会社を辞めてウチに来ると言うことは言わないほうがいいと言われたんですけど、
僕はいやだったので、隠し事はしたくなくて当時上司に正直に
「長い間お世話になりました、実は今度行く会社は前に独立した○○さんのところでして、いずれ分かることでもありますし、常務にウソをついて行くのは嫌なので」と申し上げたんですよ。

へぇ~…!男らしいですね!

で、僕が高校卒業してお世話になってたその会社では、僕なりに子ども心に高校卒業して18歳19歳という遊び盛りに、主任になるには最低3年~5年といわれる中で、みんなが8時間とか10時間働いて休む時は休んで上に立つんだから、オレはその倍働けば2年とか3年で主任になれるんじゃないかと思って頑張って仕事してたんです。
そうしたら今後、これから僕がこの会社にいてどこまで上がっていけるのか?と。

思いますよねぇ…

ただ、ウチの会社は当時3代目がいて、RC(鉄筋)が専門だったんです。学校関係の建物とかですね。
住宅も当然やってたんですが、1億以下のものはやったことが無くて、その当時住宅と言えば1億~4億、今のような5~7千万前後の住宅なんてやったことが無かったんです。

へぇ~、時代ですねぇ~…(笑)

それで、僕は今死に物狂いで仕事をしてるんだけど、仕事をこなせるようになってきた、仕事も取ってくるようになってきた、そうしたらいずれ常務の席とか部長の席とか座らせてもらえるのかなと思って聞いたことがあるんです。

ふむふむ…

その日はいつもどおり夜遅くまで仕事して事務所にいたんですが、下の階で音がするなと思ったら常務が帰ってきたんですね。

降りていって常務に、「ちょっとすみません」と言って「おう、頑張っとるな」「いえいえ!」という感じで始まるんですけど、
常務はいつものように、こうやってヒゲを触りながらいてね、

(笑)

岐路~がむしゃらに働いて6年~

「ほんっとにこんな生意気なことを言って申し訳ないんですが、聞いていただけますか?」と。
「今僕なりに一生懸命働いているんですが、今後なんですが僕が一生懸命働いて、主任になって現場を自分でこなせるようになったとして、部下に教育も出来るようになって仕事もバカバカとってくるようになったとして、僕が部長の椅子とか、今常務が座っている席に、僕が座ることが出来ますか。」と聞いたら、
常務が難しい顔をして「うーーーーーん!!!!…」と(笑)

うーーーーーん!!!(笑)

常務は、その3代目の社長の家のお婿さんなんです。かたや専務はもう80歳くらいになってるんですが、その息子さんが今部長になっていて、おそらく部長は専務になっていくだろうと、
けど僕は、赤の他人の全然関係ない田舎の農家の生まれなんです。論外なんですね、やっぱり(笑)

ははぁ~…

で、常務の答えはこうでした。
「うーん…それはな… 非常に難しいんだけど…、今の時点では、無理や…。」と。

正~直な方ですねぇ…

僕は正直、その時ウソでもいいので、「佐村!よう言った!とことん悔いの無い様存分にやってみろ!」と言ってもらえれば、「よっしゃぁーーーー!!!」と僕は思うんですよね、
でも常務は「うーん…   今の時点では… 無理や…。」

常務もお辛かったでしょうね…

でもその言葉の裏には、今から思えば、「今は全ての権限を専務の自分が持っている訳ではないから、僕の一存では『いいよ』と言えないのだよ」という意味があったのかも知れないけど、
そんな時に、独立した先輩から「お前は平成の豊臣秀吉だ!お前ならいける!出来る!」と言われちゃったものだから、「そんならやったるか!」といって移ったんです。

あははは(笑) なぁるほどね~

で、移って僕はそこでずっとやってくつもりだったので、独立するなんてその時は一切考えてもいなかったんです。
そんな風にしてそこで働いておったんですけど、

信仰の話ってね…まぁ、人それぞれありますけども、その移った会社の社長、元先輩ですわな…

まぁ…
トップっていうのはやっぱりつらいですな、誰にも相談できないというか、追い風向かい風全て自分で受けて、全て自分で決断するんですね、
そんな時に、頼りがいがある心のよりどころというところで、信仰に傾倒していくということは、分からないでもないんですけど、
社長はそちらの方面に力を注がれるようになってきて、そしてだんだん仕事はされなくなってきて・・・。

ははぁ~… なるほど…

で、僕はどうかというと、好きなようにやっていいと言われて行っているので、根本に彼に雇われていくという意識は最初から無いんですね。 僕は真っ向から反対するんです。
「社長が、お休みの日や、平日の就業時間終わってからどこで何をしていても、人を誘っても誘わなくても関係ないんですけど、平日の仕事の時間に自分の行き先も告げず、お客様から電話がかかって来た時に何時に帰ってくるのかも分からないというようでは困りますので、そういったことは謹んで欲しい」と、僕ははっきり言うんですね。
そうすると、彼としては、自分の部下が自分の言うことを聞かないというのは使いにくいですわな。

うーーーーん…!!!

そうなると、当然僕のことを煙たがるんですね、周りはYESマンでしょ? 佐村だけは言うこと聞かない…と。

ん~…! 私ならそういう人が欲しいですけどね~…

そして最終的には、僕に隠れてそういうことをするようになるんですね。

あぁ~…、それは寂しい…

そんな時に、僕は結婚をしたんです。
それからすぐ1ヶ月くらい経った頃だったかな、
ある日、夜遅くまで仕事をしてて、会社の軽自動車で走って帰る途中でした。
対向車がカーブでこちらの車線にはみ出して来てしまって、正面衝突の交通事故に遭ってしまったんですよ。

!!!…

僕はシートベルトしてたんでね、外傷は無傷でした。ただ、シートベルトをはずすと、その跡がバシィッ!!!っと写ってましたけどね。
でも全身鞭打ちで動かなくて、救急車で運ばれて…。

はぁ~……

それから1ヶ月くらい後だったですかね、社長が僕の家に来て、
「申し訳ないけど、会社をやめてくれんか」と言いに来たんです。

はぁ~~~…

それからしばらくして体がちょっとは動くようになって出勤もできるようになって会社に出ていったんですけど、
まだ社長は本業に力が入ってないままだったんです。
それでも僕がそばにいれば、この人間を変えることがオレだったら出来る!変えていける自信がある!と思って、なんとしてでも使わせて欲しい!とお願いしたんですが、

うんうん…

でも、彼は、
「佐村、悪い…  僕には、悲しいけど君を雇用するだけの器が無いんだ   …辞めてくれ」と言われまして、
つらかったですね…。

岐路~がむしゃらに働いて6年~

そうですか~…

で家内としては結婚したばかりで、さらに親から借金するの嫌だもんで借金して無理してここの家建てたばかりでしょう(笑)

(笑)

困ってしまうわね(笑)

そうですねぇ(笑)

ましてやそれでも僕はお金もらうの嫌だったもんで、新婚旅行とか結婚資金とか、びた一文親から出してもらわずに
少ない給料で貯金も叩いて何とかしたんですよ。貯金残高11円とかねぇ…
そんな状態で何とかギリギリで生活していって、路頭に迷った頃もありましたね。

はぁ~…そうですか~…

それでまぁ、家内と二人で「どうしよう」と。
で、どこか勤めないと仕方ないなと、土方でもなんでもやっていけば食べてはいけるし、という話をしてたんですが、
その時、今日も現場でたくさん撮ってもらった業者の人いっぱいいましたけど、取引していた人たちが集まってきてくれて、
「佐村…お前な、総合元請、できるぞ。オレは今まで色んな人間見てきてるけど、お前なら多分出来るぞ…!」
で、僕は、「そりゃ無理や」とね(笑)

うんうん。

ただ、一専門業者ね、親方の下で仕事覚えて、クロス屋さんとか、大工さんとか、独立するとかならまだ分かる。
しかし元請となると、それなりにお金が必要だったりとか、仕事を取ってくる力もないと出来ないでしょ?
「出来るわけがない」と。
でも周りの人は言うんですよ、
「お前ならできるぞ」と(笑)

ははは(笑)

その頃は景気良かったからね、こづかい貯める上司なんかもいっくらでもいたんですよ。でも僕はそういうのは一切嫌だったもので、銭金のことは下請けの人たちにも厳しく言っていたんですね。
それがよかったのかなぁと思って、
で、あまりにも皆が「お前なら出来るぞ」と言ってくれるもんで「そんならやってみようかな!!!」とまた勢いづいちゃってね(笑)

あはははは(笑)

じゃあやろうかということで腰を上げたものの、どうやっていいか分からない…と。
工務店ってなんだ?とかね(笑)

そこからですか~

それでお金もなかったもんで、
家内はパートに出てたり、
仕事も全然無くてね。

大変でしたね…

つらい思いをしました。
家内の作ってくれる料理を食べながら「くそぅ今に見とれ…」と思ってね。

うんうん…

車も無くてね、
やっと体もだいぶ治ってきてね。
でも車屋に行っても若い25歳の坊主が軽トラを買いに来るなんて、おかしいと思ってまず相手にしてもらえないんですよね。
そうすると、昔から知ってる人がやってる修理工場に行くと「おお久しぶり」なんて言ってもらえて、
で、廃車にした軽トラをね、まったく動かないのを動くようにしてもらってねぇ…。
ポータキャブってやつでしたかね。

ほぉ~…!

ボロボロのそれに乗って1年くらい乗りましたか…

奥様ご帰宅

あぁ~! お邪魔しております~。すみません遅くなってしまって…

今日はどうもありがとうございました~(笑)

今日取材が遅くなってしまって、今さっき帰ってきて始めたとこなんだわ。

あぁ~そうなの~。

紀子最初に買ったポーターキャブな、あれって1年くらい乗ったか?

いや、もう~ちょっと乗ってたんじゃなかったかな?
3万か~5万くらいで買った(笑)
あ、じゃあ私はちょっと~…

あ、奥様も是非、もしお時間良ければ…

あ(笑)ありがとうございます、ちょっとまだ家のこと何もやっていないので…
あ、でもいたほうがいいですかね?

10分でもいていただければ(笑)

こんなんでよろしければ…(苦笑)

どうもすみません~(苦笑)

いや~でもね、僕にとっては大切な大切な軽トラだったので、南宮大社へお払い受けに行くんですよ。
普通お払いなんて新車ばかりですからね、隣でぴかぴかのカローラに乗った家族がいてね。
どうにも冷たい目で見られてるみたいな気になってしまって、
「くそぅ今に見とれ、そのうちオレだって新車の軽トラ乗ってきてやるからな」とかね(笑)

創業~仲間たちと妻に感謝~1

一同:あはは(笑)

で、その次の車は中古で10万くらいのハイゼットの軽トラ買いましたか、
南宮大社行きましてね、でまた隣の新車見ながら「くそぅ、今度こそ新車の軽トラで来たるからな」とかね(笑)

一同:あはは(笑)

そんな風でそのうち新車の軽トラも買えるようになって、
そうすると今度は軽トラだけではいけないようになってきて、
中古のトラック、新車のトラックと順番に歯を食いしばって頑張ってきましたね。

そうですか~…
奥さん、ご主人が事故に遭われた時はどんな気持ちでしたか?

あ!そこまで話しを…(笑)

あ~、あの時は~… 会社を辞めたのが結婚して3ヶ月くらいだったので、
結婚してよかったかな。とかね(笑)
思っちゃったりもしましたね。若かったですし(笑)

はぁ~…そうですか~。

僕が25で家内が23だったかな。

いやぁ…この結婚失敗だったかなぁ…ってねぇ(笑)
ゴメンナサイねぇ(笑)でも何回も言ったもんねぇ(笑)

一同:あははは(笑)

けど、その時はサラリーマンだったんですけど、
お付き合いする女性と結婚する女性って、今だから言えるんですけど違いますね。

そうですねぇ。

で家内は、やっぱり固かったですし、
プロポーズした時に「雨風しのげればついていきます」と言ってくれましたので。

くぅ~…!!!

一同:あはは(笑)

けど…、それはかっこいい綺麗事言ってるだけであって、
まさか(笑)本当に…ねぇ(笑)

一同:あはははは(笑)

オレに付いてくると苦労するよと、塩しか舐められない時がくるかもしれないとか、
事実本当にそうなったもんで(笑)
家内も「ほんとだったね(笑)」なんて言ってたりね。

そうだったねぇ…(笑)

うんうん…

家建てたばかりで借金も何千万ってあって、
貯蓄も新婚旅行や結婚資金に全部使って残金11円とかで、
それはやっぱり家内もびっくりしたと思いますよ。

奥さん、会社をやり始めた時は最初からご一緒に?

最初はパートに出てたんですけど、
宅地建物の資格を取るように言われて、その学校の授業がちょうど木曜日だったので、
木曜休みの仕事を探して歯医者さんに行くようになったんですよ。

僕は僕で、今まで会社に勤めてた時は、
一級建築士とか他の資格なんかも、上司でも誰でも持ってる人がたくさんいたので一切僕は取ってなかったんです。
けど、あの頃は施工管理技士という資格が出来たばかりで、とりあえず2級施工管理技士から取れと上司に言われて受かっていたことがあったんです。
で、独立して会社を興した時に、じゃあ自分で商売やろうと思ったら、どうすれば食べていけるのかな、どうすれば僕に仕事をいただけるのかな、どういう人間になればいいのかなと考えていくと、
やっぱり資格も必要だろうということで、僕は1級施工管理技士を一発で取るから、お前は不動産「タッケン(宅地建物取引主任者資格)を取れ」と

ははぁ~…

そうすると「タッケン」ってなに?とかね(笑)

一同:あはは(笑)

そんなことでそれぞれ資格をとったんですね。
そのあくる年に2級建築士の資格も取って、これでまぁそれなりに食べていけるのかなという感じでしたかね。

17年…一緒にやってこられて、どうですか?今思い起こして。

うーん…、あのー、
若い頃は色んな先輩たちに育てられたところがいっぱいあってー…、
今よりももっとずっと謙虚だったなぁというのを、最近になってちょっと思いますね。

あと万一、僕の体に何かがあった時にご迷惑がかかるといけないというのはね、お客様が増えていくたびにね、やっぱり。
だから組織をしっかり作って、社会貢献していくことが、息を長く継続していくことが、
お客様のためになるんだと、思うようにだんだんなってきましたね。

なるほどね~…

当初はね、事務所も何もなかったもんだから、自宅の2階の子ども部屋で座布団引いて下請けの業者さんと打ち合わせしてて、
カタログ持ってきてって言って持ってきてくれるだろうか?とか、
壊れた机をもらってきたとか、カーマで買ってきた安い本棚作ったりとか、壊れた中古のFAXやコピー機を買ったりとか、電話も引かなきゃいけないとか、ホントに手探り状態でやってたんです。

ふむふむ…

当時、小切手もどうやって切ればいいのかわからなくて、
銀行にいって「小切手ってやつを切りたいんだけど」って言って「変なやつがまた来たな」と思われたと思うんですよ(笑)
「申し訳ないけど、当行と何年以上お付き合いがないと出来ません」といわれて、
「僕は何も分からないけど、前科もなにもない善良な市民です。ここに来たのも、ここをいつも通るから来ただけで銀行なんていくらでもあるんだよ」なんて言って、
「小切手っていうのが切りたいから教えて欲しい」って無理言いましてね(笑)
で、そこの支店長代理が嫌そうに相手をしてくれましたけど、「小切手ってやつはここがこうなっててね…」と教えてもらってねぇ、やってきたんです。

うんうん…
いいですね、夫婦二人三脚で。

一同:(笑)

いやいや喧嘩ばっかりですよ。

ほんっと喧嘩ばっかりだったな。

あはは、そりゃあ喧嘩はありますよ~(笑)

でも、当時ここは田んぼでしたから、家建てるのに、腰丈以上の草ぼうぼうの所をね、
日曜日の午前中から2人してずーっと草とりばっかりしてて、
くそぅ何でずっとこんなことばっかりしとるんだ、そのうち絶対楽さしたるからなと思いながら黙ーって一人で草むしってね。

あはは(笑)

創業~仲間たちと妻に感謝~2

倉庫がいるって言って、でもお金も無いもんだから丸太買ってきて、こんな丸太なんかで倉庫は作れんって言われてもね、何とか作ってもらって屋根にはトタン貼ってね。
台風が来るといつもトタンがバーーっと飛んで道の向こうまでいってしまって、
建築屋の倉庫の屋根がまた飛んでまって(笑)

一同:あっははは(笑)

で、明るくなるの待って、あわてて取りに行ったりとか。
また台風が来るってなって、あれこれと対策をしてもそれでも屋根は飛んでいってしまうし、
もう、「くそぅ、今に見てろ…」と、それしかなかったですわね。(笑)

うんうん…

そんな時にでも何とか、子どもも授かったので、
こんな砕石まるけではいけないし、庭もつくらなきゃねとつくったりしながらやってきたんです。

そうですか~…
…あ!
奥さん、お時間は~…大丈夫ですか?

あ、あ~!はい(笑) ありがとうございます~

お食事は…

これからなんですよ~(笑)

ウチは夕飯遅いもんで、いつも9時くらいなんです。

そうですか~。ウチもそう変わらないですよ(笑)

あ、じゃあ、失礼いたします、どうぞ宜しくお願い致します~。

あ、いえこちらこそありがとうございました~。

奥様退室

今後の展望というか、将来的にどんな会社にしていきたいですか?

やっぱり、なにが一番大切かというと、スタッフ・社員が将来に不安を感じることなく、のびのびと仕事が出来る会社にしたいと言うのが第一。 会社が維持継続しようと思った時は、当然利益を上げないといけないと。

そうですね~。

利益を上げるということ、お金を儲けるということは決して悪いことでもなんでもないんです。

うんうん…

お客様からの、ありがたいという感謝の印としてお金を頂いて利益を出す。当たり前のことなんです。仕事を果たして一生懸命働いて、そして生活していくために必要なお給料をもらうと言うことは、決して悪いことでも何でもないんですよ。
むしろ、赤字を出すと言うことは悪いんですよ。お客様に対する責任を果たすことが出来ないんです。メンテナンスもなにも出来ないんですよ。

そうですね、うんうん。

それにはやっぱり会社がどうあるべきか、明確な経営指針を出して、それに皆のベクトルを合わせて、モチベーションを上げて、一生懸命突き進んでいく。
今後見通しが読めない時代ではありますが、自分なりにどうあるべきかと言うことを自分なりに打ち出して、一生懸命頑張って利益を出して息の長い会社にしていきたいなぁと。

最後に、お客様やこれからお客様になっていただけるような方々にメッセージをお願いします。

まず、言える事が、
これは本当の本心で、手前味噌で申し訳ないですけど、
ウチで家を建てられるお客様ははっきり言って幸せ。

いいですね~!

仕事はピカイチ!
いい仕事しかしない。

これはね、
僕がバリバリの技術屋で現場監督なんです。
現場で、監督とは何ぞやと。
最初に学校卒業してからお世話になった会社で現場監督としてやるところまで頑張ってきて、現場の掃除からまずやれと。隅から隅までしっかりするところから大切だったりとか。
あとは、公共の仕事ばかり担当してたせいもあります。
とにかく、税金を投入する仕事。いざとなった時には、災害時には避難場所になる建物、当然品質の良いものが要求される仕事。
そんなことばっかり植えつけられてきたので、手抜きの仕事なんてもってのほかでした。

ふむふむ…

営業は後から自分で覚えてきたんですね。営業ってなにか分かりませんから、誰かが教えてくれるでもない、本屋に行って営業とは何ぞというような本を買って調べて、仕事を頂くためには自分がどういう人間になったらよいかと、人の振り見て我が振りなおせとね、自分で自分に叩き込んできて体得してきたんです。
そしてそれをうちのスタッフにも嫌って言うほど言っています。そういう仕事しかしません。
だから安心していただけるということは事実ですし、僕は絶対にお客様を裏切りません。

ただ、それを僕が言っていてもお客様には信じてもらえないんです。
どういう形でお客様に分かってもらえたらいいのかというところですね。

うーん、難しいところですね~…

一つ言えることは、こうしてレポート用紙にまとめたお客様を見てると、紛れもない紹介・紹介…で頂いたものばかり。
そして意外と多いのは、ウチの取引先、同業者、下請けさんからの紹介、または下請けさんの家・下請けさんの兄弟といったところからの紹介が結構あるんです。

はぁ~!いいですね!

そうした左官屋さんクロス屋さんサッシ屋さんとかは、何十社から仕事をもらってるでしょ?
ウチみたいな会社よりもずっと大きくてしっかりした会社の仕事もたくさんやってるわけなんですよ。
でも、自分の家とか兄弟の家とか知り合いとか、紹介する時に誰に頼むのかと言うと信頼の置ける人しか紹介しないと思うんですよ。
それが一番嬉しいですね。
今日現場を撮影させていただいたお客様も、ウチのサッシ屋さんの親友なんです。

ほ~… 信頼の証ですね。

電話もね、今でこそ当たり前のように会社にかかってきますけど、
社会から必要とされてませんと新しい電話を引いてもかかってきません。世間がその電話番号知りません。そんな会社があっても無くても世間は回っていきますから。
だから、電話がかかってくることのありがたみということを嫌って言うほど体感してきてますので、
電話一本あると、 「はい!佐村建設です」と今では当たり前のように出ますよ、いろんなわけの分からない勧誘なんかもあって、そういう時は「今は忙しいです」とか「後にしてください」とかカシャンと切ったりもしますけど、
初心忘るべからずというかそういうことを身に染みてきてますので、人の弱みと優しさというのは、自分なりには分かってきてるつもり…ではいますけどね。

そうですかー…

と、こんな感じではお客様には思っています。
ただそれをどんな形でお客様にお伝えしていけばいいかということですかね…

うーーーん…!なるほど!

つたない話でしたが、こんなことで伝わりますかね…(笑)

いやいや!もう十分に伝わると思いますよ!
私も勉強になります。

(笑) 何を仰いますか…

17年…早かったですね!

けどね、ここ数年この業界はどこも苦しいですよ。
周りの40年もやってるようなところも、こんなに苦しいことは今まで無かったと。
バブルが崩壊したり、その前にも苦しい時はあったけど、こんなに苦しいことはオレんところも初めてだと。
だから、そう心配しなくてもどこも同じように苦しいんだからって言われてね。
でも、ああそうかウチだけじゃないんだ!といって何もしなければ会社は淘汰されちゃいますからね!
そんな訳には行きませんから、人一倍勉強して…。

言えることは、「努力は人を裏切らない」。

肝に銘じて…!

では、今日は本当にどうもありがとうございました!

こちらこそありがとうございました!

お気軽に
お問い合わせください

0581-36-2453

営業時間
8:00~17:00

定休日
日・祝・祭・第1第3土曜・年末年始・お盆

MAIL

お問い合わせ
最上部へ